伊藤ひろたか

トリアージに見るヨーロッパの合理性

2007年 12月 11日

先に行われた議案関連質問で「横浜市救急条例の制定」について
質問しました。
詳細は横浜市会のホームページをご覧下さい。
こちらで動画が公開されています。


一連の質問に通底しているのは、まずはトリアージの根本思想を
理解しようよ、という思いである。
トリアージとは、傷病者を軽症、重症と分類することを意味する。
言葉にすると、「なんだ、そんなことか」と思われるかもしれないが、
実は非常に合理的な考えに基づいている。


それは助からない命は助けない、ということ。
もっとストレートに言えば、息はしているけど、一生懸命手を施しても
絶対に命が助からない人には関わらない。
その時間があるなら、処置をすれば、助かる可能性がある人を
助けようとするのがトリアージの思想。


確かに理屈で考えれば、その通り。非常に合理的だ。
でも、果たして私たち日本人にこの考えが馴染むのか、どうか。


JR西日本で起きた福知山線の脱線事故はまだ記憶に新しいと思う。
あの事故でも現場でもトリアージが行われた。
前述した、助からない人にはトリアージの結果、黒い札を置くのが
ルールだが、かの脱線事故現場で医者も看護士も、なかなか
黒い札を置けなかったという。
黒い札を置くことは死刑通告にも等しい。
息はしているけれども、助からないことを知らせるわけだから。


私は黒い札を置けなかったという医師や看護士の逡巡は
日本人として、非常に健全な反応だと思う。
ここがヨーロッパと日本の大きな違いなのだと思う。


トリアージがこうした性格を持ったものであることを念頭に、
横浜市救急条例の是非を議論すべきだと私は考えました。
360万の横浜市民の命と安全に直結する問題だからこそ、
議論をしっかりと尽くさなければいけません。
全国初というパフォーマンスにしないためにも、です。

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