伊藤ひろたか

歴史教育と愛国心

2008年 02月 16日

神奈川県では県立高校において日本史の履修を義務付ける方針を
明らかにしている。
私はいいことだと思う。
自分の国のこともよく知らないのに国際人にはなれないからだ。
英語を話せるのが国際人ではなく、英語を使って自国の文化や風習を
海外に伝える、逆に海外の文化や伝統を学ぶ、これこそが国際人の
あるべき姿だ。


日本史教育をすぐに愛国心教育とつなげて議論する人もいるが、
私はそれはあまりにも自分たち・日本人を信用していないと思う。
今や海外旅行に行くのが当たり前になった時代にあって、
自分の目で海外を見ることができる。
もし、相当に偏った歴史教育が行われたとしても、
その教育がおかしいことに気付けるはずだ。
日本史教育の充実=愛国心教育と考えるのは、
むしろ、自らが海外に対して心を閉ざしている、鎖国状態なのでは
ないだろうか。


世界には多くの人種、民族があり、それぞれが独自の歴史的・文化的な
背景をもっている。
だから、それを同じ価値観・歴史観で統一しようということが
おかしい。
歴史観が違っても、それが一体何に起因しているのかをお互いが理解
しようと努めることこそ国際人のあり方だと思う。


さて、私が個人的に思うのは現在の日本史教育では明治維新以降に
ついてはほとんど流すようにしか勉強しなかった記憶がある。
旧石器時代から勉強を始めるから、明治・大正・昭和まで勉強するだけの
授業時間がない。
本当は明治以降についても十分な時間を割くべきだと考えている。


なぜ日本は世界史でも類を見ない革命(明治維新)を起こせたのか。
なぜ日本は西洋以外で唯一、明治・大正と急成長を遂げ、植民地にならずに済んだのか。
なぜ日本は太平洋戦争という全く勝ち目のない戦争(勝てないことを
知っていた山本五十六は非戦論者だった)を始めてしまったのか。
なぜ日本は戦前の官僚体制がそのまま残ったのか。


歴史は点ではなく線だ。
だから今、政治が抱える諸問題は過去から連綿と続く、歴史の中の必然として
生じていると私は思う。
それを政治家だけでなく、本来は国民も広く知っておくべきだが
残念ながら日本史では近・現代が手薄なのが現状だ。


私は過去の様々な歴史を振り返ると、戦争の記憶が薄れ、冷静な議論が
できるようになるまでに100年を要するだろうと思っている。
私は今30で子どもが6ヶ月。
きっと、私の孫の世代くらいで、大正デモクラシーの正当な評価、
そして太平洋戦争とは何だったのか、日本人がそこから何を学ぶべきなのかを
冷静に議論できるようになるのだろうと思っている。
今は、30年後、40年後に訪れるであろう冷静な議論をするための
通過点、材料作りの時期なのだろう。

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