竹島問題について思う
2008年 07月 18日今回の竹島問題における韓国の対応ははっきり言って論外なわけですが、新聞を読んでいると、アジア共通の歴史教科書を策定すべきだとする意見が散見されます。しかし、そのようなものは土台、無理な話だと私は思います。
同じ事象に対して国によって評価が異なるのは当然のことで、その国にとって長い歴史の中で、ある時点での事象を位置付ける必要があります。それが歴史観であり、歴史教育です。大切なことは多様性を認めること、つまり国が違えば、同一事象についての捉え方の相違を認めることでしょう。
さて、竹島はれっきとした日本固有の領土であるのは間違いがありません。それはサンフランシスコ講和条約にも明らかです。同条約の第二条では、竹島が朝鮮領から除外され日本領となっているのが根拠です。
日本が竹島を日本領として国際社会に宣言したのは1905年で、「他国ニ於テ之ヲ占領シタリト認ムベキ形跡」のないことを確認し、閣議決定で日本領としました。この際、同島の領有権を日本が主張した根拠は「隠州視聴合記」にあります。1667年に出雲藩士の斉藤豊仙が藩の命によって著したものです。この書物の中で、斉藤氏は松島(現在の竹島)と鬱陵島が日本の西北限の領土だと記しています。明治政府は無人島であることと、さかのぼること約250年前の出雲藩の調査を歴史的根拠に竹島を日本領としたわけです。
さて、翻って韓国はいつ竹島の存在を知ったのでしょうか。韓国の教科書によると、17世紀末の朝鮮王朝の出来事を記録した「粛宋実録」。時期的には隠州視聴合記より数十年後のもので、この中で安龍福なる人物が鳥取藩主と直談判し、鬱陵島と松島(現在の竹島)は朝鮮領であることを認めさせたとする一文があります。
鳥取藩の公文書等、日本側の資料にも安龍福氏が渡航してきた経緯や時の幕府がいかなる対応をしたのか、文献が残っています。その詳細を語るのは本ブログの目的とするところではありませんが、当時の幕府は松島(竹島)は日本の領土であり、侵犯をおかすなと言って本国に送り返しています。さらに言えば、安龍福氏は国禁を犯して海を渡った罪人であるため、その供述そのものが信用できるのか、検証されなければいけません。
前述したように歴史はその時代、時代の積み重ねです。出雲藩がなぜ調査に乗り出しのか、さらにさかのぼって検証する必要もありますし、当時の朝鮮が竹島をどう捉えていたのか、検証する必要があります。そこは政治家ではなく、歴史家の手に委ねるべきですが、少なくとも日本の政治家は最低限、こうした事実を踏まえた上で発言をすべきでしょう。
少なくとも韓国の教科書には「竹島は韓国領である」と記載されています。そして、今回、日本は固有の領土と踏み込まずに、周辺諸国とは認識に相違があるとまで記載されています。どちらの方がバランスを取っているのか一目瞭然です。むしろ、日本が弱腰でさえあります。
日本は海洋国家であったせいか、領土の問題意識が希薄なのでしょうか。いずれにしても、韓国では天皇陛下の写真を燃やす事態まで発生していると聞きます。さすがに、やりすぎではないでしょうか。