横浜にカジノって発想がダサくない?

僕自身はカジノは横浜に要らないと思うーーー。

 

議員になって10年。もともとは国政志望だったが、気づけば現場のある横浜市議会議員に面白さを感じてきました。初当選したのが2007年。その年の7月には双子の子供が生まれました。僕自身は父が転勤族だったため、小学校を3つも経験し、「実家はあるけど、故郷がない」。故郷への渇望感は人一倍強い。当選した直後は「日本の、横浜の政治を変えるんだ!」って息巻いていましたが、子供が生まれてから「この子たちのために、いい故郷・横浜を残してあげたいな」と思うようになりました。それが僕が議員を続けてきた、大きなモチベーションの一つ。

 

議員になる前は、横浜(たまプラーザ)から毎日、通勤電車に乗って、片道1時間かけて会社に通勤していました。夜遅くまで働いて、お酒を飲んで、家に帰ってバタンキュー。そんな生活がたまらなく楽しかったし、それこそが人生だと思っていました。議員になってみて、あの通勤電車のストレスによく耐えていたなと思います。あの頃と違って、今は四季の変化や、朝の匂い、町の匂いにとても敏感になったような気がします。そして横浜の空は広いということに気づきました。なんていうのだろう、東京が生活の全てだった時には感じられなかったものを、今、僕は肌で感じながら生活できています。それはとても幸せなこと。

 

でも、きっと、横浜で暮らす人の多くはまだ、かつての僕と同じようなライフスタイルを送っていることでしょう。なんといっても、40万人もの人が日中、横浜から東京へ流出しているのですから。横浜市の行政を見ていても、根っこは東京に追いつき追い越せ、がベースです。でも東京の真似をしたってかないっこない。かないっこないし、そんなことをしても横浜の良さは出てこない。

 

僕は団塊のジュニアよりちょっと下の世代、ロスジェネ世代です。僕らの両親の世代、いわゆる団塊の世代が生きてきた時代は大量生産大量消費、今日よりも明日が拡大していく世界でした。それはそれで時代だったと思いますし、その時代なりの楽しさがあったことでしょう。そこは否定しません。ただ、じゃぁ、これからも同じモデルで社会が描けるかというと、それはちょっと違います。

 

成熟社会には成熟社会の、次の豊かさがあるはず。今、政治も行政も、あるいは企業も、その次の豊かを模索しています。ナショナルチェーンじゃないカフェが街のいたるところにある、あるいは朝になれば美味しい匂いが漂ってくるパン屋さんが街にある、そんなのが僕が「豊かだなぁ」って感じる一つの風景。他にも僕が住んでいる緑区なんかは本当に緑が豊かで「ここ、ほんとに横浜?!」って思うような風景がそこかしこにあります。そんな横浜の郊外で採れる、オーガニックな野菜が調理されているレストランが横浜にもっとたくさんあったら、どんなに素敵なことでしょう。そろそろ大量生産大量消費が前提となった社会から、次の社会の、新しい豊かさを見つけたい。僕を含めて一人ひとりの市民が「あぁ、豊かだなぁ」と感じられる一瞬をたくさんつくりたい。僕が横浜市議会議員として、ずっと願ってきたことです。そんな社会をつくれたら、横浜は東京とは異なった魅力を放つ都市になっていくはずです。

 

今回の選挙、カジノにイエスか、ノーかが大きな争点になっています。確かに争点には違いないし、二項対立ではっきり言うことで世間には主張が伝わるとは思うものの、僕はちょっと違和感は覚えています。僕自身はカジノは横浜に要らないと思う。けど、イエスかノーじゃなくて、そもそも、山下ふ頭のような横浜の歴史の生き字引みたいな場所に、そして30年後には横浜の顔になるであろう場所にカジノを持ってくるという発想が、ちっちゃいというか、カッコ悪いというか、ダサい。もっと、横浜市民のプライドをくすぐってくれるような、そんな場所にしようよって感じています。

 

世界の風景を変えること、それがイノベーション。次の豊かさはもう、私たちの目の前にあります。僕は政策でイノベーションが起こせると確信しています。